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                    中国雲南省昆明市の紹介

 石林  

 概況□位置  □地形と気候  □人口と民族  □国際交流  
 経済□天然資源  □工業  □農業  □流通  □交通  □観光

概況
 昆明市(こんめいし、 Kunming)は中華人民共和国雲南省の省都であり、雲南省の政治、経済、文化、交通の中心地である。
また1400年の歴史を有する国家歴史文化名域でもある。

□位置


 昆明は雲南省の省都で、中国西南・雲貴(雲南・貴州)高原中部に位置する、風光明媚な高原都市である。市の中心部の海抜は1891m。
昆明市街区はシ真池盆地(昆明ba子)東北部にある。
  政治、経済、文化、科学技術の中心。交通網が各地に延び、東南アジアに向けての有数の国際貿易都市、観光都市となっている。
 一方、その農村部は、北は四川省に接し、東は石林も入る。
 昆明の総面積は21018ku。市街区は125ku。
 
地形と気候

 昆明市街区は南にシ真池(昆明湖)、三方を山に囲まれた湖畔の盆地。北にはるか四川へと続く山並みを望み、東に金馬山、西に碧鶏山
(西山)を頂く。ちなみに昆明の市章は金馬と碧鶏。
 「シ真池」は南北40q、東西8q、面積330ku、深さ8mの湖で、中国で6番目に大きい淡水湖。
3億年前、雲南は海底にあった。ユーラシア・プレートとインド・プレートの衝突によるヒマラヤ造山運動その他にともない地殻変動で徐々に
隆起した地。
石林は海中の堆積物がつもった石灰層が隆起した後、風雨により浸食されたカルスト地形の典型である。鍾乳洞・阿廬古洞も同様。
また、雲南省内には、大理と昆明を通って南北に2本の構造線が走る。シ真池やシ耳海は構造湖。このため、温泉が多く、地震も比較的多い。
「四季如春」。亜熱帯に近いが、海抜が高いため、一年を通して気温較差が少ない。年平均気温15.1℃、月別では最高温月7月の平均が
19.7℃、最高温月1月の平均が7.5℃。
ただ、内陸部のため気温の日較差が大きく、朝夕が涼しく、雨が降ると冷える。
こうした適度な気温、湿度のため、一年中春のようなので「春城」、また、恵まれた気候条件のため、いつも樹々が緑で花が咲き乱れている
ので、「花都」とも呼ばれる。
5月〜10月の雨期と11月から4月の乾期に分かれる。年日照時間2400時間(100日)、年間降雨量950o。
山茶shancha(ツバキ)、杜鵑花dujuanhua(ツツジ・シャクナゲ)、報春花baochunhua(サクラソウ)、玉蘭花yulanhua(ハクモクレン)は四大名花。とくにツバキは
「春城のツバキ」として全国に知られている。さらに百合、蘭、竜胆などを加えて雲南八大名花という。

□ 人口と民族

 総人口は467万余。市街区160余万人。
 漢族の他、25の少数民族が64万人が住み、総人口の13.7%を占める。
 雲南省はもともと少数民族の地で、省の少数民族比率は約33%だが、都市部には、古くから漢族が入っているため比率が低くなる。
 昆明郊外区にも、石林彝族自治県、禄勧彝族苗族自治県、尋甸回族自治県がある。
 おなじみ、石林のサニ族は彝イ族の一支系。

□ 国際交流

 昆明は経済的に発展した、外国に向けて開放された都市で、各分野、各レベル、各ルートで開放されている。
 1981年に藤沢と友好都市提携したのを皮切りに、世界30余ヶ国の地域と経済、技術、科学、文化、教育の分野で協力、交流している。

友好都市 

□ 教育
昆明は全省の教育と科学研究の中心。21の大学、専門学校などの高等教育機関[大専院校]、180余の科学研究期間があり、多くの人材を
養成し、大きな成果をあげ、すでに国際レベルにまで達している。
昆明の教育は、すでに基本的な形はでき、全社会で様々に進められている。

経済

 国民経済と社会の発展の2000年、2010年の目標は、2000年の平均国内総生産を 1983年に比べて6倍[翻三番]に、そして2000年の基礎
の上にさらに4倍[翻両番]にすること。
近年、昆明の総合的な経済力が伸び、国民経済と社会の発展の速度が急速に速まっている。
92年には、その実力がトップ50強中14位、その50強中の省都19中8位。



□ 天然資源

 昆明は、燐、塩、鉄、チタニウム、マグネシウムなど鉱物資源が豊富。
燐は全国七大燐山のひとつで、年産46億t。
塩は、年産138億で、全国2位。

□ 工業

 新中国成立後、これらによる冶金、鉄鋼、機械、化学などの工業が急速に発展し、基本的には冶金、化工、紡績、食品、電子、建材を中心とし
た工業体系ができあがっている。
雲南で最大規模の生産、加工能力を持つ、技術、資金、人材が集中した総合的な工業基地で、全国でもトップレベルの機械工場もあると聞く。
精密機械、電気ケーブル、光学機器、製薬−雲南白薬、雲南碁石などは、国内外に広く知られ、ヨーロッパ、アメリカ、日本そして台湾、香港な
ど40余ヶ国、地域に輸出されている。
また、昆明はその優れた資源を利用して、国家級ハイテク技術開発区、シ真池旅游発展開発区、経済技術開発区を作っている。
外国からの投資も日増しに増え、投資分野も広がっている。

□ 農業

 農産品は、米、小麦、トウモロコシ、空豆、馬鈴薯などの食糧作物;
油菜、野菜、花卉、タバコなどの経済作物;
桃、梨、りんご、みかん、葡萄などの経済作物。
農業は建築、輸送、商業などを経済的基盤として、食糧や食肉、野菜、牛乳、卵、魚などの副産品の生産基地となっている。農家が豊かになり
、野菜、卵、牛乳などは自分たちが食べることを実現させただけでなく、余剰生産物を出している。水産物も余剰が出、良くなってきている。
すべての農村経済が、製品化、現代化してきている。

恵まれた気候条件、様々な気候があるため、年に400種もの花が咲き競う。
日常的な180余種の花の中、椿[茶花]、白木蓮[玉蘭]、つつじ[杜鵑]、桜草プリムラ[報春花]、百合、蘭[蘭花]、青いケシ[緑絨蒿Luronghao]
りんどう[竜胆]は雲南八大名花で、特につばきは春城・昆明の花として全国に知られている。
昆明の花は、国内だけでなく、国外にも輸出され、農業の重要な構成部分になりつつある。
蘭は、東洋蘭の蘭種が豊富で、今も新種が発見される。
また、洋蘭も多く栽培。地の利と気候条件を生かして、タイ北部で安価にフラスコ苗をつくり、昆明で大量に開花させ、空路で輸出するという「蘭
工場」も近年多い。カーネーションや菊のスプレー種も多く日本に入っている。花卉栽培が農業の中で重要な位置を占めはじめている。

□ 対外貿易

 昆明は、中国西南辺境の商品集散地で、東南アジア各国への重要な窓口。昆明市場は急速しに広域化し、流通量が増えており、東南アジア
南アジアへの窓口としての役割を十分に果たすようになってきた。大量の工業製品、野菜、果物、花卉、建材、お茶などが、省内、国内100余
都市に、さらには東南アジアにも輸出されている。
毎年夏に開かれる昆明輸出品交易会は、昆明の対外貿易を大きく発展させ、国際的知名度を上げた。
1998年現在、輸出入総額11.62億ドル、辺境貿易で輸出入総額2.5億ドルを実現した。
外資導入では、1998年現在、三資(外資の入った)企業が168社、契約総投資額33.95億ドル、契約外資17.22億ドル。

□ 交通

 昆明は雲南の交通、通信の中心で、航空、鉄道、道路の交通網が張りめぐらされている。
 昆明長水国際空港2012年6月28日に開港し、中国でも有数の国際空港の一つとなっている。名古屋/中部国際空港(長沙経由/2015年
5月より就航開始)大阪/関西ヤンゴンバンコクシンガポールなど国際線8路線、香港北京/首都上海/浦東など国内線40路線が乗入
れている。また、省内のシーサンパンナなどを結ぶ7路線もある。昆明巫家?国際空港は、2012年6月27日をもって閉鎖(廃港)された。
 鉄道は、昆明−貴州、昆明−成都、昆明−河口(97年ベトナムの老街ラオカイ−ハノイ線とつながり、昆明−ハノイの国際鉄道になった)の3路
線あり、国内各地と結ばれている。昆明−南寧、昆明−玉渓の2路線は輸送能力の向上に努めている。
5000qの道路が各地に通じています。幹線道路はミャンマー、ラオス、ベトナムの3ヶ国と通じており、中国西南と東南アジア、南アジアを結ぶ
重要なルートになっている。

□ 観光

 昆明は観光資源の豊かな、世界的な観光地だ。
重要風景名所旧跡100余ヶ所、国家著名風景区3ヶ所、風景旅游区30ヶ所、国家級の観光ルート11種、国家級、省級の観光リゾート[度暇]
ルート各1種、大規模で民族的特色を備えた民族村1ヶ所、国宝級の寺の省、市級保護文物66点。
石林、シ真池は要として、全省の観光ルートに組み込まれている。
一年を通して春のような素晴らしい気候、様々な民族、多くの文物、名所旧跡、美しい山河ゆえに、各国の、そして国内の観光客が集まり、
全国十大観光都市のひとつになっている。
 昆明では第3回芸術祭、第6回少数民族伝統スポーツ大会が、そして1999年には中国初のEXPO、中国99昆明園芸博覧会が開かれ、さら
に知名度を上げました。
98年の外国からの旅行者は延べ40万人。外貨収入2.5億ドル。99昆明花博をへて、昆明を訪れる人の数はさらに多くなっていると思われる。

歴史

 現在昆明と呼ばれるこの地域は、シ真文化の発祥地で、3万年前の旧石器時代には、すでにシ真池の周りに古人類が住んでいた。
紀元前109年、前漢の武帝は昆明を中心に益州郡を置き、シ真国王に金印「シ真王之印」を与えた。
蜀(221〜263)の時、諸葛孔明が兵を率いて南征し、益州郡を建寧郡に改めた。
晋以降、雲南東部は、すでに強大な勢力を持つ烏蛮系の爨サン氏の手中にあった。
注:チベット系の騎馬牧畜民で、奴隷制社会を形成。彝族の祖先と言われる。
 隋になってさらに昆州と改めた。
 7世紀、すでに雲南西部シ耳海周辺には6つの小国-六詔-があった。707年、その中の蒙舎詔が、シ耳海地区を統一して、南詔国を建てる。
唐は南詔王皮羅閣を雲南王にした。 やがて彼は機に乗じて、シ真池地区の爨氏を破り、全雲南を手中に収める。昆明に拓東城を築いて、
ゼンセン府を置き、昆明は東京として栄えた。
937年、臣下の段氏が、大理国を建て、南詔からの境界を受け継いだ。
 1275年、モンゴル軍が大を滅ぼすと、76年雲南中書省を置き、中慶路を設けて、昆明県を中慶路の首府とした。この時雲南統治の中心が
大理から昆明に移り、現在に至る。
明朝は中慶路を雲南府と改める。
1911年、辛亥革命に前後して、昆明に「重九起義」がおき、清の雲南統治、雲南府を倒し、昆明県を省都とした。
 日中戦争では、シ真軍が前線に赴く一方、内地や沿海部の工場、機関、学校、金融機関などが昆明に移り、抗日戦の大後方として大きな
役割を果たした。
1949年、平和裡に解放され、今日に至る。