□ こうして始まった □組織と役割分担 □活動の簡単な歴史 □まず゛希望小学校を作りました □What's New助学金給付に三年目、対象者を絞りました/中学進学できなかった袁仙艶さんを進学させました □What's New2005年春2校目の希望小学校・東川区の同心小学校増改築 □What's New2004年8月東川区の小学校選定視察と禄勧県沙漁郎希望小学訪問 □What's New2004年3月東川区小学校視察と禄勧県沙漁郎希望小学・九龍中学の訪問調査 □助学金2年目、2003年8月沙漁郎希望小学訪問 沙魚朗希望小学校通信 bPより−皆さんからよく聞かれること 沙魚朗ってどんなところ? □ 経過□沙魚朗希望小学校通信 bQから助学金を発足−学校に行けない子をなくすために □1999年沙漁朗訪問報告より □禄勧、沙魚朗1997年概況

このページの中で使っているいくつかの日本語でない言葉について
 希望工程:学校に行けない貧困地区、貧困家庭の子供たちを支援するプロジェクト。
 希望小学:希望工程によってつくられた小学校
 失学:様々な理由で義務教育である小学校、中学校にも通えなくなること。能力がありながら上級の学校に進学できないこと。
 助学金:学費が払えない貧困家庭の子供たちへの助成金。



こうして始まった
  藤沢の希望工程−中国教育支援基金ふじさわは、1996年2月、藤沢市内に住む一人の高校教諭S.K.さんの電話から始まりました。
  中国の貧困地区に学校を建てたい。それが少しでも日本が戦争中にしたことの償いになるならば・・・。ついては、比較的事情のわかりやすい友好都市昆明のある雲南に。
  30年余教鞭を執られていた氏は、「教育のないことが次の貧困を生むのです」と語りました。だから学校を建てるだけでなく、貧困をなくすための「村おこし」もしたいと。
  しかし、その年の暮れ、不治の病に冒された彼はなくなりました。  

  年が明けてすぐの告別式。昆明市の外事弁公室主任の蒋俊才氏から心のこもった弔電。
  そして、1月半ば、S.H.夫人から電話で、皆様からのお気持ちの一部を、夫の夢であった中国貧困地区学校建設に寄付したいと告げられました。
  雲南省とも相談した結果、やはり昆明市にということになり、改めて昆明市に連絡。2ヶ月余の検討の結果、当時国家級の貧困地区であった昆明市禄勧彝族苗族自治県にある九龍郷沙魚郎に決まりました。


組織と役割分担
 藤沢側:「中国教育支援基金ふじさわ」
       −夫人を中心に、募金を集める。
       −「戦後補償を考える湘南市民の会」が支える。
       「湘南日中友好協会」
       −確実な形になるように、昆明市に伝える。
       −現地の情報を日本側に伝える。
 昆明側:昆明市外事弁公室
       −現地での工事を順調に運ばせる。


左は昆明市と私たちで新しく建てた新沙魚郎小学校


活動の簡単な歴史

1997年 禄勧彝族苗族自治県九龍郷沙漁郎を初めて訪問、沙漁郎小学校建設開始
1999年 沙漁郎希望小学校完成
2002年 沙漁郎希望小学校助学金開始
2004年春 助学金給付家庭訪問調査、昔カ多彝寨分校視察、東川区各郷小学校視察
2004年夏 助学金3年目対象をしぼり訪問給付、中学生袁仙艶さん支援開始
東川区湯丹鎮同心小学校視察→秋 建設開始
2005年夏 同心小学校完成


まず゛沙漁郎に1校目の希望小学校を作りました

 沙魚朗小学校旧校舎 は、1912年築。もともと村の廟でした。
 校舎が老朽化し、採光条件が悪く、教室も狭く、土地が低くじめじめしていました。長年無修理で、かつ1985年、1995年の2度の雲南大地震により、損傷がひどく、教育機材も質があまり良くありませんでした。
 そこで、昆明と相談して、有志が沙魚郎を訪問、沙魚郎小学校にて校舎建設資金(110万円)および文房具などを贈呈。昆明市、昆明市教育委員会も多額の資金を拠出して小学校の建設が始まりました。

校舎も校門も今にも崩れそう。97年。 99年。
教室の中は暗く、機材もよくなかった。97年。 写真はストロボをたいているので明るく見える。。97年。

新しい沙魚朗希望小学校は、敷地面積2740u、鉄筋3階建て、9教室。生徒数307人、教師数11名。
 1999年春完成。春節−旧正月−明けから使用開始。その夏には、メンバーが訪問して、机・椅子などの教育器材の資金80万円を寄付。 
 2001年には宿舎、図書室などもできあがり、学校が完成。

新しい校舎。下の写真の車のあたりから校舎を見る。 明るい教室。01年。
校舎三階から校庭を見る。左右の長い平屋に図書室、会議室、教師の宿舎などがある。02年。



助学金給付三年目、 対象者を絞りました
  中学に進学できなかった仙艶さんを進学させました

 2002年から開始した助学金、02、03年は学校でそれぞれの子供に渡していましたが、当然のことながら何か見えない部分があって不安でした。沙漁郎が貧しい村といいつつも、最も厳しかった10年前に比べれば、豊かになり、村の中での貧富の差もかなり大きくなっていると感じました。手許にある子供の資料をExcelで整理、果たして全部が助学金になっているのだろうか、などの疑問をこの目で確かめたくて、04年春に20年来の友人(昆明市職員)と村に入り、家庭訪問。
 2004年夏からは対象者を両親いない、または片親だけの子供に限り、家庭を訪問、家人から家庭情況を聞いたうえで、手渡すことにしました。
 沙漁郎小に着いて、子供たちに辞書、ノート、鉛筆などを渡した後、先生方からこの1年の学校に情況について話を聞きました。
 その後、村の中を歩いて家庭訪問し、家人から直接情況を聞き、助学金を贈呈しました。
 毎年この情報を整理し、10数年辺鄙な民族の村々を尋ね歩いている経験と合わせて考えていくことで、いろいろなことが分かると思います。
 


楊涛 (沙四隊=沙漁郎村第四村民小組)

学年:小2
家族:父、祖母、本人
    −母とは死別
年収:1000元
    −昆明へ出稼ぎに出ていた。
      400元/月のはずだったが
      払って貰えず、村に戻る。
印象:家の中は中の下?
    服装は出稼ぎに出ていたせいか小綺麗。

袁再敏 (沙五隊)

学年:小2
家族:父、祖母、本人、妹(3才)
    母には逃げられた
年収:2000元
    −子供たちを見てくれる人が
      年老いた祖母だけなので、
      出稼ぎにも出られない。
印象:栄養状態が良くないのか、
    子供たちが年齢に比して小柄。
    

袁興嬌 (沙六隊)

学年:小4
    −12才。本来なら中1。
      途中失学し、02年助学金で復学。
家族:祖父、祖母65、父、本人12、妹8
    −母には逃げられた
年収:1400元

    
金h (沙六隊)

学年:小3
    −10才。本来なら小5。
      途中失学
      昨年は助学金被給付候補に上がる
家族:父、本人10、妹3
    母には逃げられた
年収:実収入600元
    −稲 1ムー(200元相当、自家用)
      タバコ 1ムー(1000元)しているが
      肥料に3〜400元かかる
    −出稼ぎにも出られず。
印象:一見して非常に貧しいと感じた。
    妹も無事教育を受けられるか心配。

袁興会 (沙六隊)

学年:小4
家族:祖父73、祖母73、本人9
    −母には逃げられ、父も追って出ていった。
年収:400元で暮らす。
    −隣の叔父・袁継生(元沙漁郎小教師)が
      生活費を補い、食糧をつくっていたが、
      現在は、規則で村の小学校に勤められず、
      他村に勤めている。不安。
印象:話を聞いているうちに全員が涙。
     


中学に進学できなかった袁仙艶さんを進学させました

 当初の計画にはなかったことだが、一人の少女への支援を決定。
 小学校の先生方との懇談で新卒生の進学情況を聞くと、即座に上がったのが彼女、袁仙艶の名でした。成績優秀、トップレベルの禄勧三中に合格しながら、貧困故に進学を断念とのことでした。
 急遽彼女の家を訪問、本人の気持ちが確認できたため、その場で援助を約束し、教務主任に半期分のお金を託しました。ただし両親と細かく話し合う時間がなかったことが悔やまれます。
 翌日、九龍中学校長、昆明市長にも私たちの気持ちを託して、帰国しました。
 結果、9月半ばに昆明市から、九龍中学に入学、諸手続きを終了したという連絡がありました。沙漁郎からの距離、九龍中学校長に感じた熱意、今後の連絡の取りやすさなどから、九龍中学になってよかったのかも知れません。

袁興艶さんの情況

 袁興艶、女、1990年生。沙漁郎村第五村民小組(沙五隊)。
 父袁再倉は現在30代。先天性背部障碍のため、ほとんど働けず、きわめて貧しい生活です。
 タバコ栽培が家の唯一の収入源。タバコ乾燥塔がないため、加工に出しています。
 年間収入は1000元前後ですが、様々なコストを除くと、700元前後。現在1500元の借金があります。
 袁興艶は5年時に貧困のため、失学しましたが、「中国教育支援基金ふじさわ」の援助で復学、小学校を卒業できました。

 袁興艶は小さい頃から家事労働もしてきたため、成績が芳しいものではありませんでしたが、復学後、成績が上がり、小学校卒業試験では、147名中6番、禄勧三中に登録されましたが、貧困のため中学進学を断念しました。

 「中国教育支援基金ふじさわ」の援助の下、現在袁興艶はすでに九龍中学で勉強をしています。入学当日に学費、宿舎費用計200元を納入しました。中学在学中、毎月生活費、学用品代などで計120元かかるので、1学期で700元程度必要です。

袁興艶さんの中一前期の成績

 袁興艶は現在九龍中学1年2班(65人)の中で勉強しています。
 2004−2005年度前期試験の成績は:
  語文50点、数学74点、英語66点、政治47点、歴史33点、地理47点、生物50点、労働技能58点。
 で、あまり良くありませんが、頑張って欲しいと思います。
 この夏の訪問で再会するのが楽しみです。



2005年春2校目の希望小学校・東川区の
同心小学校増改築がここまでできました

 2004年秋、昆明市で最も貧しい東川区の子供たちのために小学校を建てたいと申し出、2005年春事務局が東川全域を視察、東川区教育局と話を詰めた結果、同心小が浮上、同年夏中国教育支援基金ふじさわ・湘南日中の役員、事務局がこの地区を視察して、同心小を改築することにしました。
 
 この地域の興隆、風景、同心、三家村の4つの単小をまとめて、2005年秋からは同心小学を寄宿制の完全小学になる予定です。東仙区教育局はこれにより、教師の、教育の水準を上げ、子供たちをよい環境の中で勉強させたいと考えています。現在使用している教室棟はまだ使えそうでしたが、同心小学がこの4村の中心にあり、かつ学校の条件も良いため、ここを6年制の完全小学校にすることになりました。


前回2004年8月末訪問時の同心小学校
敷地面積1.5ムー。校舎面積350u。2004年8月。
左:コンクリート造210u(比較的新しい)。
上:正面の木材とレンガ造140u(70年代初)。

比較的新しいコンクリート造210uは宿舎に改造。2005年1月。 70年代初の木材とレンガ造はこわして2階建ての教室棟を新築
トイレは新設 左側に食堂ができる。


 現在、この地域には興隆、風景、同心、三家村の4つの単小があります。
 単小とは、1年おきに子供が入学する小学校で、1校3クラスのため、教師が少なくてすみます。

興隆、風景、三家村の3つの単小を同心単小に統合し、同心小は寄宿制の同心完全小学になります。

 現在の同心小学校は、
生徒163名(就学前、1年〜5年)、教師8名。
6年生は湯丹鎮にある湯丹中心小学校に寄宿。
生徒は同心、興隆の2行政村から来ています。

 興隆、同心、風景の3村には計270名の就学適齢児童がいますが、うち100名は同心小学から18q以上離れたところに住んでいます。
また、30名は親戚や友人を頼って他の地域で勉強していますが、貧しい家庭では学校に行かせられず新たな文盲も生まれています。

 同心単小から20q以上離れたところに三家村単小がありますが、同心までは2時間もかかります。

新しい同心完全小学は
生徒数270名で、就学前、1年〜5年で、各学年2クラスの予定。6年生はやはり湯丹中心小学校に。
270名中120〜130名全寄宿、50名半寄宿、90名通学になる予定。

李林教育局長は国や各レベルからの補助があれば経済的に可能だと話していました。
 政府、国の補助 補助 月32元/月/人
        食費 月32元/月/人 直接生徒に or 学校に食堂−親の負担は10元程度?
 食堂などの技術者の費用は国から
 校舎・宿舎は国からの補助で、区政府からの補助で。
−一人ひとりにこんなに補助ができるのでしょうか? 単純に生徒数を掛けても不可能な数字かと・・・。

統合される三家村単小も見に行きました。


   
上:2004年3月 右:2004年8月

三家村は単小で、現在は1年おきに子供が入学し、1校3クラス。
小学校:70年代の建物に84年に増築。日干し煉瓦の壁に、石板(増築部分は1u大のスレート)の屋根
隔年招生。生徒70名。老師5人
老師宿舎と弁公室一室
統合後は分校として寄宿できない年齢の子をここで教えるという。


6年生が集まる湯丹鎮の湯丹中心小学校にも行ってみました。
1年〜5年 140名(地域の子)
6年(6クラス) 寄宿生 200名と自宅通学100名で計300名。 寄宿生は全鎮各村から。この子たちを補修して、街の生徒のレベルまで引き上げ、中学に入る準備をする。


山頂にありかなり遠くから見える。
この写真は三家村から戻る途中、北側から見た湯丹鎮の町

李林教育局長に当面の東川小学校教育の理想の形を聞いてみました

東川区:4鎮10郷/22居民委員会146村民委員会/面積1674ku/人口30万
湯丹鎮は詳細地図で見る限りでは、湯丹鎮(町。居民委員会は1〜2?)と17村で構成

東川区全体 湯丹鎮
高級中学(高校)東川全区で 3校。
2468名
高級中学
(高校)
東川一中
など
初級中学(中学)東川全区で13校。
9148名
初級中学
(中学)
湯丹中学 優秀者は
東川一中
小学校:各村に完小。完小131校、
    −単小44校 隔年入学、1〜6年
      教学点23ヶ所 先生1人
    −−−東川全区で27310名
小学6年 湯丹全鎮の小6が湯丹中心小へ300名
(寄宿200名+通学100名)
小学
 1〜5年
同心完全小270名
  =1学年50名?
(120〜130名全寄宿、
 50名半寄宿、90名通学)
湯丹中心小140名
=1学年30名弱?

町に他に何校?
他の小学校800名強?
=1学年160名?
就学前 同心
完全小
興隆
分校
風景
分校
三家村
分校
他に13分校?と鎮の小学校
学齢期
児童
同心村・興隆村・風景村計270名 三家村
70名
湯丹鎮と
詳細地図では左記の4村以外に13村

数字はいじらず、局長のいったままです。ただし淡色部分は推測あり。
東川区の児童数は、単純計算でいけば、小学校1学年6000名、中学同3000名、高校同800名。
人口に対する小学生数が少し少ないかなという程度。小学校就学率が多分90%、中学がその学齢の40〜50%、高校が10%強。ただし、これは町も含めた数字で、金沙江南岸の上水坪ではここ数年高校生は出ていないと聞きました。
このシステムの普及率を聞いたら、まだ全小学校の10%、全学生の20%とのことでした。まだまだ目標というレベルです。


2004年8月
東川区の小学校選定視察と
禄勧県沙漁郎希望小学の訪問




8月20日(金):
早朝昆明を出発して東川に向かい、正午着。近場で昼食をとり、47q離れた湯丹鎮の小学校建設候補地を見に行く。さらに同心小から20q以上離れたところの三家村単小まで2時間掛けて行く。最後に湯丹鎮の町の小学校へ。立派、綺麗。前鎮の6年生がここに集まり、小学校の最終学年の教育を受け、中学入学の準備をする。東川泊。
同行は李林教育局副局長 (陳光明局長)と周影教育局基礎教育科長
この日の日程については前項の「2校目の希望小学校・東川同心小学校がここまでできました」をご覧下さい。

8月21日(土):
 午前中東川の町周辺の小学校2校と東川一中を見学して、午後昆明に戻る。
 東川県城内の小中高は豊かで立派。

成績優秀舎が行く東川一中 東川一中古いが綺麗。
東川一中。土地は広い! 臈利中心小学校。周辺の村から6年生が集まる。
教室増設の援助を乞われたが、お断りした。


8月22日(日):
早朝昆明を出発して九龍郷へ。11時過ぎに到着。
午後、沙漁郎小学校訪問。
沙漁郎小について、まず集まっていた子供たちにクラス毎に鉛筆とノートを、卒業したばかりの子供たちには中学に入って使う「現代漢語辞典」にお祝いの言葉と名前を入れて贈呈。
 教室で、この1年の学校に情況について新校長の李世凱先生(李錫栄に代わって着任したばかり)と肖教務主任の先生から話を聞きました。子供たちに辞書、ノート、鉛筆などを渡した後、先生方から話を聞きました。
−昨秋から規則が変わって、基本的に自分の村では教えないことに。ただし50歳以上は可。
  このため、教員9名中、7名が新任で、2名のみが継続で、村出身は1人。
−現在の生徒数は350名。昔カ多分校廃止し統合。子供たちが昼食に家に帰れないので、食堂が欲しい。
−学校の成績 全郷で7位。 卒業生の1位は200点満点中 171点。
−今年の卒業生40名 うち4名が進学できなかった−袁仙艶、艶興麗、尚正嬌、艶継江
  −−−艶興麗、尚正嬌、艶継江の3任は実際には進学できた。
  −−−袁仙艶は私たちの援助で進学。
詳しくは「助学金給付に三年目、対象者を絞りました/中学進学できなかった袁仙艶さんを進学させました」をご覧下さい。
夕方、九龍郷へ戻り、いつもの仁宝賓館に泊まる。

8月23日(月):
早朝、九龍中学を訪問。鄭朝軍校長に会い、情況を聞く。 
トップレベルの禄勧三中に合格しながら、貧困故に進学を断念し、私たちが援助することにした袁仙艶が入学したら面倒を見てもらうようにお願いした。

10時過ぎに九龍郷発。途中で昼食をとり、午後早く昆明着。
夜の章振国市長の招宴で、あらためて袁仙艶の件をお願い。


2004
東川区小学校視察と
禄勧県沙漁郎希望小学・九龍中学の訪問調査


3月24日(水)
早朝車で禄勧県の県城(県の行政機構のある中心地)へ向かう。
11時教育局着,銭貴学規律委員会書記に話を聞く。


禄勧彝族苗族自治県の2004年教育情況

禄勧県では2004年9月の新学期より「一費制」を採用。
教科書、学費、雑費すべてが含まれ、他に費用は徴収しない!が基本方針。

小学校 1学期80元×2期=年160元
中学校 1学期149.5元×2期=年299元

実現すれば、農民の教育にかかる負担を軽減でき、貧困家庭の子供たちも教育が受けられる。さらに各家庭の経済状況により軽減することもある。ただし生活費、文房具などは自己負担。



学校は

全県:3鎮15郷/194村民委員会/面積4378ku/人口45万/
    4200 ku中90.4%が農村。人口45万中42.6万が農民

小学校
は村民委員会194。小学校194。
     原則各村(各村民委員会)に1校、かなり離れた自然村があれば分校もある。
                       分校は1〜3・4年級、4・5〜6年級 完全小学に合流。
     計1774班 −−学生47457
     −以前の統計では分校が378校もあったが、現在は廃止して統合する方向へ。
     小学から初中(中学)への進学率は 99.6%。0.4%は障碍者と遠地の子。
     −ただし数ヶ月で失学する子が多いようだ。

初級中学
(中学)は18郷、24校。
     原則1郷1校。18郷各郷1校、県城2校+禄勧一、二、三中、民族中学(完全中学)=計24校
     計359班 −−学生 21708名(01)
     禄勧一、二、三中はクラスの10〜15%が行く優秀校。
     民族中学は優秀な少数民族子弟150名入学
     教師 3900 代用教員も含む / 学生 7万人強(小・中合わせて)
     寄宿  学生のほとんどは寄宿 3q以内は自宅通学、3q以上は宿舎
     各郷の条件により異なる。条件が悪い時には遠いところ優先。
     卒業率 データなし
     初中昇高中率 67.5% 普通中学、職業中専、テレビ中学、農業中学、昆明、楚雄の高校
      −−−−→3月24日の項に九龍中学の実際のデータ


高級中学(高校)4校
     一中:禄勧/二中:撒営盤/三中:転龍/民中:禄勧
     −高校在校生数  4000人 (3373)
     計 44班 −−学生 3373名

総学生数−−−−−総計7万



としての今後の対処
小学校の統合
各村にあった小学校を、5〜10q内は1校に統合することにより、教師、設備を集める
−教師は全教科教える→専門を教える
−学校の教具などに集中投資

農民の負担軽減
4200 ku中90.4%が農村。人口45万中42.6万が農民。
村民委員会194。小学校194。
−寄宿費無料。食費、電気代などは自己負担。
−生活費は自己負担。県城200元 農村100元
−不足する子には補助。


自分たちの努力
1対1の援助−教師や幹部が1人の子を援助。80元。5年連続。
担任が収入などを書いた名簿を提出、学校が審査決定。
中国企業(タバコ公司など)の希望工程

県教育委の要望
学校、寄宿舎の建設−外国人が資金、地域が土地などを提供して







午後は、昆明市外弁が新たに援助を始めた翠華郷の大松源村と新華村を視察しました。



翠華郷 新華村
李光勤主任、李用発副主任、趙正光党書記、付興培校長に話を聞く。
10の自然村からなる。彝族、苗族、リス族の村々も。
農業:食糧作物:米、トウモロコシ。
経済作物:タバコ。ただし品質が良くないので売れない。
平均年収:625元。翠華郷の目標は920 元。
市外弁2004年から援助、まずは道路を建設中。



小学校は生徒144人。各学年1班+就学前班=7班。100%就学、ほぼ100%卒業。
   教師11人。正式教員9人、代課2人。
   −村出身は1人。昨年から基本的に自分の村では教えないことに。ただし50歳以上は可。
   9:00〜自習、10:00〜授業。生徒の最遠は自宅まで7q。2時間半かけて登下校。分校はなし。
   144名中13名は80元が払えない。60元のみ払い後は収穫後とか、先生が仮払いしたままとか小学校は
初中(中学)進学 中学は翠華郷の中学、翠華中学に進学。直線で7q、実は15q。少数は禄勧一中に進学。
   小学卒業のほぼ100%が入学するが、3ヶ月で約1/2に。30名→16名。残った10数名はほぼそのまま卒業。
   原因:経済的理由、個人の問題、本人が学びたくない、家族が学ばせなくてもよい。
高中(高校)進学は、2〜3年で2〜3名。入いらない年もある。合格しても入学できない子もいる。
   卒業後、師範大学、民族学院、衛生中専。 学費600元、年1200元。生活費100元。
   計画進学率は、中学卒業者の市区で90%、農村で60%。本人たちも30%は大学進学希望。

翠華郷 大松源村
−龍宝華中心小学校校長、袁家培前校長に話を聞く。。現校長は翠華郷で研修中。
海抜2140m。10.5q。苗族、漢族などの11の自然村からなる。。

大松源完小
 
   生徒199名。10教室。
   各学年1班+就学前班=7班。1クラス20〜30名。
   寄宿30→62名。6年2学期は寄宿。4、5年でも遠い子は寄宿。
   自宅通学の最遠は8q。
   自宅通学でも昼食は学校で。
   失学率0.0〜0.2%。
   校舎の状態は比較的よい。
   宿舎がないので今は教室の一部を簡易宿舎に。
   −現在、台湾の篤志家の資金13万元と政府のお金で宿舎建設中。
中学 中学は翠華郷の中学、翠華中学に進学。
   中学進学率ほぼ100%だが、昨年は30名弱が数ヶ月で15名に減った。平均失学率30%。




3月25日(木)
毎年密かに通っていた九龍中学ですが、今回は校長先生に面会の約束をして、訪問しました。
−鄭朝軍校長先生にお話を聞きました。

学生 1216名 中一10班、中二8班、中三7班。1班約50名。 99年:中一8班、中二7班、中三6班。
教師 88人  専門学校卒以上、研究生も。
校舎 旧校舎:教室棟(17教室)、寄宿舎、教師宿舎、食堂、トイレなど。
          旧校舎の一部は寄宿舎に。18ムー
     新校舎:教室棟 (20教室)、食堂、トイレなど。−−24ムー拡大(21万元)で、合計42ムーに。
 現在1年10班が新校舎、2、3年15班が旧校舎を使用。
 将来“普九”すると30教室を全部使うことになる。1学年500〜600人
       (01年統計小学1学年平均800〜900名)
小学校からの進学率 85%  
  残りの15% 経済困難、両親の打工先の学校へ。
          女子は親が小学卒業でよいと言っていかせない。
  進学した85%のうち2〜3ヶ月で止める子 5%
          生活困難、父母の病気、民族地域(彝・苗・回)は親が教育の必要性感じない。
  失学は1年が一番多く、2年は少数、3年はほとんどない。
沙漁郎からの子どもたは中一29名(女子13名)、中二14名(6名)、中三12名(6名)。女子計25名。
  成績:中。去年は高中進学なし、中専3名。
  沙漁郎小03年夏卒業生37名の中  九龍中学29、民族中学3、三中3で、2名は進学しなかった。
九龍中学卒業生281名。
  中専 学費700元/学期→1400元 以前はすぐ就職できたが今は難しいので人気がない。
  当然普通中学の競争率高くなり、統一試験ある。183名が受験して43名が合格し、禄勧三中(転龍)に。
  140名は職業学校、中専、技術学校。
  一部(かなり多い)は回家。
  1名 昆明一中へ。
郷の支援 9万元。教師は校長500元/年、教師300元/年の天引き
中学必要経費  一費制 149.5元/学期 1年300元
生活費 40元/月 10个月(暑暇、寒暇は除く) 400元
学用品 300元                   計1000元



下午往沙?郎小学昔?多分校,
村:彝族村。600人、130戸。
分校:公弁。隔年で招生。1、2年を分校で過ごし、3年から沙漁郎へ。
周辺の3つの彝族村の子たちも来ている。計130戸、600人。
現在、3年以上全員が下の小学に通っている。
訪問:普雲春:4人家族。収入2000元。人均500元。
       子供の分の畑がないから苦しい。
食糧作物。経済作物(タバコ)、豚。
張 勇:おばあちゃん、母、子供2人の4人家族。
畑:トウモロコシ、大麦、小麦
豚:2頭 1頭:自分たち用
     1頭:売る−600〜700元
家を建てたばかりで6000元の借金。
夫は昆明に打工。3000元/年
探??困生家庭,
張兵:
 15歳。昆明へ打工。不在。
張艶:
 昔?多の子。家にいたが、進学したくないとのこと。

家庭訪問 電話は村で10軒程度 / 昼間は畑仕事。子供も学校から帰ると畑仕事。

尚興荷(5年):
 4人家族。父母、兄(初二)、私。祖父母、叔父家族と3家族で住む。分家。オートバイあり。
 作物:包谷、?煙 / 牛2頭、豚2頭。家族年収2000元。500元/人
 私:語文、歌唱が好き。本人は初中、両親はできれば大学まで。−−−奨学金?
殷沢平(6年):
 4人家族。父母、弟(小4)、私。
 作物:トウモロコシ、小麦、?煙 / 牛1頭、豚。家族年収2000元。500元/人
 僕:成績7/43。大学へ行きたい。−−−奨学金?
袁仙芝(2年):
 4人家族。父母、妹(3)、私。
 作物:?煙も / 豚2頭、鶏。家族年収1000元。250元/人
 借金計1080元。1月に600元借入、11月に600元返済。返済できない年は利子だけ返済。600元は化肥、農薬代。
 私:成績5〜6/35。−−−奨学金?
袁興麗(6年):父母不在。
 成績:クラスで1番。−−−?
注:夕方家にいられるのは裕福な印かも。収入の少ない家は親も子供も遅くまで働かなければ生活できない?
              住九??
3月27日(六):


前往?川区,上午拜?相???人,
−−−−−李旭東教育担当副区長 (和麗川区長)
     朱耀明東川区弁公室主任
     李林教育局副局長 (陳光明局長)
周影教育局基礎教育科長

東川区概況
かつては昆明市と同レベルの市、東川市であったが、国務院の批准を経て、1998年12月に昆明市の区となる。昆明市市区から直線距離で125q。面積1858.79ku。人口29万。14鎮からなる。
 地形は山地が97.3%、海抜は最高4344m(雪山嶺、轎子山4232m)、最低695m。地殻構造的には、南北に縦断する深い断裂線が小江を形成し、全東川を東西二つに分けている。
 年平均気温20.2℃。雨期と乾期に分かれ、雨は雨期に集中する。年間降雨量480oだが、日照量が多く、その熱量も多いため、年間蒸発量は4000o。干魃小雨の典型的な亜熱帯気候。
 東川は2000年以上の歴史を持つ銅の産地で、「天南銅都」とも呼ばれ、現在でも全国6位の銅の生産基地。現在探査済みの銅の鉱脈は151、埋蔵量は346万t、全雲南の埋蔵量の1/3を占める。しかし近年生産量が下降しつつあり、銅生産による豊かな経済が望めなくなりつつある。他にリン、鉄も埋蔵。さらに最近金鉱も発見されたといい、現在これに望みをかけている。

 東川は世界的にも泥石流地域として有名である。様々なタイプの泥石流が発生するので、「泥石流博物館」ともいわれている。「山山走蛟龍、溝溝吹喇叭(山々は龍の背骨のよう、谷は土石流がラッパのよう)」。
 現地の人々が「白土地」と呼ぶ土がある。小麦粉のように細かい粒子の土が黒塗りの車を、私の黒い服をたちまちサンドベージュに変えてゆく。この土は「地質発育不全」と説明されたが、年間降雨量480o、年間蒸発量は4000oという気候条件が作り出すのか。この土に石が混ざったものが30%の水を含むと泥石流になる。毎年13回前後、雨期でも6〜8月の雨が集中する時期に多く、特に2〜3日豪雨が続いた後が危険。予兆として地割れや細かい揺れがあるという。−自然的原因。
 さらに、前述のように古くからの銅の山地で、精錬のため山の木を伐採して燃料にしていた。禿山が多く、根で土を固定できないので、泥石流を防げない。10数年前から造林しているが間に合わない。また、銅を採掘したため中が空洞の山もある。−人為的原因。
 そして南北に走る深い断裂線=小江なので、地震が多く、泥石流の発生に拍車をかけている。山崩れが多いので木が育たない。−天然的原因
 ただ、この「白土地」は肥沃で、皮肉なことに、泥石流が発生1年目がスイカ、タマネギなどが肥料をやらなくても良くとれる。この土の山は畑にした1年目から収穫できるので、山のかなり上まで棚田。今「退耕還林」ということで、麓近くを棚田に、中腹以上は造林している。
 また、それでは不可なヶ所はコンクリでコートしている。−生物処理と工程処理

山高多坡
十里に同じ気候なし
教育情況
*94.5%が山区、5.5%平地なので、小学校も山地に分散している。村も分散、学生も分散。
*各村に完小。完小131校。
 単小44校 隔年招生。3クラス。教師3〜5人。
 教学点23ヶ所 1人の先生、1教室。−−学生27310名
*初中、1郷1校。13校。 −−学生9148名
 高中、3校。一中:省二級一等。東川から40qの山の中。 
二中:省一級、省重点。東川
       三中:省二級一等。郊区。 −−学生2468名−−−−−総計4万
職業高校(学生136人) テレビ通信教育大学(学生201人) 成人テレビ通信教育大学(学生232人)
幼稚園 公弁3 企業2 民弁14 村弁8
 職業教育センター1 小中学校教師研修学校1 テレビ通信教育大学1
*96年“普六”(小学校教育普及)目標完成。青少年(49年〜生まれ)の文盲撲滅達成。
 “普九”(義務教育普及)完成は09年が目標
02年11月 “実験教学普及県”に。小学:自然科学 中学:物理化学の実験設備、教師 重点小学:電脳
 03年 基礎教育体制改革の任務完了。
*教育はもともと郷(鎮)の管理だが、現在教育を重視しているので、区が直接管理している。
*教育の質:03年 中考率 中学卒業生の85%が普通高校、職業高校、中専に進学。
         高考率 普通高校卒業生(卒業率55%)の55%が大学進学。
*全国レベルの貧困地区。
 ここ2年、全区で300万元以上を用意し、貧困学生を援助。特に寄宿が問題。
 寄宿する子には国から補助が出るが、行ききれない子もいる。失学率2%。潜在原因
 一費制:小学:80×2 中学:130×2 免除あり。寄宿費:無料。生活費についても9〜12元の補助あり。
*学校建築面積11万u中、危険な建物4万u。現在2.4万u解決。新たなものと合わせて2万u危険。
*よい学校資源への統合:教学点 〜01年:156ヶ所 02年:50ヶ所 03年:23ヶ所
 また、寄宿設備も不足。
*国際的支援、社会的支援もある。

問題点
東川は地理的環境が劣悪で、経済発展が遅れ、財政が逼迫しており、様々な面の発展レベルが低く、さらに多の原因もあって、東川の教育の発展を制約している。経済発展のアンバランスは、区内14郷鎮の教育レベルのアンバランスを決定づけている。主要な問題は:
@農村の校舎は粗末で、危険なものが多い。多くは土と木、または中空煉瓦で建てられ、古く、長年修理しておらず、あるものは木が腐り、壁に亀裂が入り、雨期には雨漏りするという情況になっている。
A貧困学生が多く、勉強が困難である。東川の小中学生の中、農村の学生が2/3前後。元東川砿務局の第一次整理解雇または退職した者の子女がかなりの比率を占めるため、学生にも貧困のものが多い。彼らの家庭の収入はきわめて低く、しばしば学費が払えず、学校に通えなかったり、通ったものの失学したりして、東川の“普九”(義務教育普及)を難しくしている。2001年、募金などにより、300万元を集め、貧困学生が学教を完成させるための資金援助にした。ただし、上述の問題が根本的に解決できたわけではない。
Bかつて、東川は教育の質の高さ、教師の質の高さで省内外に有名だった。しかし地理的環境、経済的待遇、仕事環境、生活環境の影響などの原因で、優秀な教師が流失している。不完全な統計ではあるが、この4年の間に区内でも比較的質の高い小学、初中、完全中学の優秀教師が43人(元砿務局系の教師を含まない)流出して、東川の教育に深刻な影響を与えている。学生の進学に影響し、また教学秩序、教学の質に影響すると同時に、現場の教師たちにもマイナスに作用している。人心が動き、一時は東川に流出旋風が巻き起こり、教学経験豊富で、その教学成果著しい現場の教師がいずれも減少した。教学の質も影響を受け、一部の優秀な小中学生たちの流出を引き起こしている。
C鉱物資源の枯渇、鉱山生産の減少、東川砿務局の破産に伴い、また泥石流で山自体が崩れてしまった因民鎮など一部の地区の集団移住により、砿務局職員、労働者や一部の居民、農民の子女が新村になだれ込むようになった。そこで郷鎮の固定収入のある人々の子女や、家庭の経済状態が比較的よい農村の学生が、さらによい学校に入って勉強することを望み、町の学校を選ぶようになった。このように、農村と町の学生数、出自による素質がきわめてアンバランスになった。

下午?地考察?村教育,当?住?川;                住?川

法者中心学校(中・小):国務院指定できれいになった希望学校
班:就学前1班、小学各学年1班、初中各学年4班、各班40〜60名 計1000名近い
   将来は3年保育が理想
住学校:計310名 内小学生24名

蚌徳小学(単小)−−管興朝校長
村:人口800人。彝族・漢族雑居地域。
  村民委員会:5つの自然村
農業(玉米、土豆、青裸)。
平均年収910元
小学校:70年代の建物。
隔年招生。老師6人。
授業は10:30〜15:10
子供たちは2〜3時間かけて登下校する。

三家村小学(単小)−−不在で中に入れず
小学校:70年代の建物に84 年に増築。
    日干し煉瓦の壁に
     石版(増築部分は1u大のスレート)の屋根
隔年招生。生徒70名。老師5人
老師宿舎と弁公室一室




       住?川 ?布??










3月28日(天):
上午??考察,
上水坪小学(単小)
村:人口1400。漢族地域。農業(玉米、土豆、小麦)。下水坪も同程度。
現金収入はほとんどなし。必要なときには鶏(1只10元程度)を売る。
学校:60年代建築。日干し煉瓦の壁が屋根を支えきれなくなったため、
   80年代半ばに内側に柱を立てて補修。
   隔年招生。現在1、3、4、5年が勉強。4年は4年前の「普九」開始の時の臨時。
   生徒40名。実際には倍程度だが、収容しきれないので外の学校へ。
今年招生すべき6、7歳児は45名。足すと100名近くなる。できれば村の学校で勉強させたい。

達?明城希望小学
達?(杉木郷)に明城という企業が立てた希望小学。
明城25万元+政府20万元。敷地6ムーに680uの建物。2001年完成。完小。
学生133名

托布?郷
郷:人口18000人。12の村民委員会。平均収入680元
学校:10所完小、5所単校
東川三中(旧東川九中)
播?郷
郷:人口13000人。

必要なもの:
道路
水利工程:ダム
灌漑 貯水竃、青貯池
トイレ
沼気:人糞、家畜糞でメタンガスをつくる。


  住九??
3月25日(四):一早前往九?中学,中午前往沙?郎,

九?中学 −−鄭朝軍校長 TEL 8948205 / 手機 13187891118

*学生 1216名 中一10班、中二8班、中三7班。1班約50名。 99年:中一8班、中二7班、中三6班。
教師 88人  専門学校卒以上、其中 人研究生
*旧校舎:教室棟(17教室)、寄宿舎、教師宿舎、食堂、トイレなど。旧校舎の一部は寄宿舎に。18ムー
 新校舎: 〃 (20教室)、      〃           −−24ムー拡大(21万元)で、42ムーに。
 現在1年10班が新校舎、2、3年15班が旧校舎を使用。
 将来“普九”すると30教室を全部使うことになる。1学年500〜600人 (01年統計小学1学年平均800〜900名)
*昇初中率 85%  15% 経済困難、両親の打工先の学校へ。
             女子は親が小学卒業でよいと。
*2〜3ヶ月で止める子 5% 生活困難、父母の病気、民族地域(彝・苗・回)は親が教育の必要性感じない。
 失学は1年が一番多く、2年は少数、3年はほとんどない。
*沙漁郎からの子 中一29名(女子13名)、中二14名(6名)、中三12名(6名)。女子計25名。成績:中
去年は高中進学なし、中専3名。
沙漁郎小昨年卒業 37名  其中 29 九龍中学、3 民族中学、3 三中、2 進学しない
*卒業生 281名。
     中専 学費700元/学期→1400元 以前はすぐ就職できたが今は難しいので人気がない。
普中 競争率高くなる。統一試験あり。183名が受験。43名合格、三中に。
140名は職業学校、中専、技術学校。一部(かなり多い)は回家。
1名 昆明一中へ。
*郷の支援 9万元。教師は校長500元/年、教師300元/年天引き
*中学必要経費  一費制 149.5元/学期 1年300元
生活費 40元/月 10个月(暑暇、寒暇は除く) 400元
学用品 300元                   計1000元
*私たちができること:学生を助けること?

助学金発足して2年目
 2003年夏も沙漁郎希望小学を訪問してきました!


 中国教育支援基金ふじさわ代表、湘南日中中国語講師、事務局の3人で訪問して来ました。

 中国教育支援基金ふじさわでは、沙魚朗希望小学校通信2でお知らせしましたように、昨夏から貧困家庭の生徒への助学金制度を開始しました。今年は2年目。

 春からの新型肺炎の影響で、昆明訪問も危ぶまれましたが、今年は中国教育支援基金ふじさわSZ新代表、湘南日中中国語教室講師LM老師、事務局XSの3人で訪問し、昨年同様に沙魚朗小学校に助学金を届けることができました。
 
 今年は貧困学生への助学金、全校生徒へのノートと鉛筆に加えて、今年の卒業生全員37名にこれから長く使えるであろう「現代漢語辞典」を贈呈することにしました。
 また、周辺地域に比べて、義務教育のはずの中学進学率が低い沙魚朗ですが、少しでも多くの子供が九龍中学に進学できるように多少の手助けをと考えていました。しかし、もう少し詳しい事情がわかってからの方がよいと考え、今年は見送りました。


日程を追ったものを載せます。

8/22(金)
 朝9時、昆明のホテル茶花賓館発。いつもの道を通って、一路九龍郷へ。
 午後12時半。九龍郷着。いつもの仁宝賓館にチェックイン、昼食。
 この仁宝賓館、97年に来たときは食堂、99年には招待所風賓館、03年の今年は、17万元を投じて増築、大改装、本物の賓館に生まれ変わっていた。
 ここの食事はいつもながらに旨い。

 午後沙漁郎へ。車で30分強。
 子供達が村の入り口で待っているのがみえる。
 「熱烈歓迎」で迎えてくれる。
 が、いつもの鄭朝銅校長の姿が見えない。
 校長先生が替わっていたのだ。
 子供達、先生方と一年ぶりの再会。
 飛んでいって、握手、握手、握手。



 校庭に移動して贈呈式が始まる。
 今年の贈呈式の様子をご紹介ましょう。

SZ新代表が中国語で挨拶。 生徒代表のことば。
卒業記念に「現代漢語辞典」を渡す。厳昆明市外事弁公室副主任のアドバイスで、人にあげたり、売ったりできない(60元)ように名前を書く。 貧困家庭の子供達。代表3人と。

 貧困学生代表3人に助学金、今年の卒業生全員37名にこれから長く使えるであろう「現代漢語辞典」、学校に01年に贈った卓球台で使う玉とラケット、縄跳び、先生方には今回初めて「英雄」ブランドの万年筆。を贈った。
私たち3人と前代表には学校から民族伝統の刺繍のある負ぶいひも(子供を背負うための)をいただいた。


 教室に入って貧困学生60人一人ひとりからサインをもらいながら「小紅包」(赤い祝儀袋)に入れた助学金を手渡す。
終了後、各教室を回って、各生徒にノートと鉛筆、そして飴を手渡す。

上左:まずサインしてもらう。
上右:助学金を渡すSZ新代表。
下左:鉛筆を一人ひとりに配るSZ新代表。
下右:子供達を優しく見守る厳副主任。

2003年助学金被支給者(60名)  太字は昨年との重複被支給者(15名)

就学前: 袁興福・袁興龍・尚正栄・張用機・郭明壮・袁 傑・珠 鋒・張 東
1年生: 袁仙芝張正川・珠 倩・殷 永・肖信清・張仔貞
2年生甲班: 袁再玉・付 松・袁再厘・付道海・李金元・羅 平・郭明強・尚興佑
    乙班: 付道毅・童応曲袁 潔・楊 進・張用花・梁応涛・童 超尚興応・周 永
3年生: 周 嬌・趙昌平・周運懐・張 偉・梁応飛・郭光麗・袁光紅
4年生甲班: 張用福王興玉・袁興座・張 玲・李 芬
    乙班: 付道方・羅徳仙・張 潤・周 涛
5年生: 袁興永・袁再荷・袁継江・袁興麗彭其霊周照兵・付道超・尚正嬌・袁 艶・殷澤平
6年生: 傅道芳・張女弟・張麗娟

 その後1時間半ほど、先生方と話し合いの時間を持ってもらう。

校長先生と村出身の教師に聞く。

  話し合いですこしずつ村の状況がわかって来ました。
  今回は昨秋就任の李錫栄校長、付貴輝教頭そして村出身の張芸文先生からお話を伺いました。

−−生活事情について聞いてみた−−

  この九龍郷地域の一人あたりの平均年収は800元。
  少数民族地区で、かつ農村なので、子供は6才離れれば、2人まで産める。
  だから家族は3〜4人。
  
  今回の貧困家庭の収入100元程度というのは、家庭の全収入から農薬など必要経費をのぞいた純収入を家族の人数で割ったものだという。だから、年収100元という場合、夫婦に子供2人の計4人家族で、年間400元の純収入ということになる。
  農村だから、食糧−米、野菜など−は自給自足。ただ農村だからといって、食べ物に不自由しないのではなく、
生活のレベルというものがある。通常、収入の2/3が自給自足の食べ物、1/3が現金収入だ。つまり、それなりの生活ということになる。

  そして、現金で出てゆく主たるものが、教育、つきあい。小学校の教育費は授業料は不要だが、教科書、文具、雑費などで1人200元。子供が2人なら、4人家族で収入400元。教育費が小学校で400元。手元には何も残らない。

−−経済と進学事情は?−−

  授業料は小学校、初級中学(中学校)は義務教育なので不要。ただしその他の経費が、小学校200元。中学で年1500〜2000元かかる(500〜800元と聞いていたが)。中学は寮に入るからか。高級中学(高等学校)からは義務教育でないので、授業料がかかる。高級中学で年3000元。大学で年1万元。

  今年の卒業生37名のうち、3名が禄勧県城(禄勧県の中心地)の民族中学、3名が禄勧三中。この2校は重点校(エリート校)だ。あとは九龍中学。ただ3〜5名が進学しない。うち2名は成績のいい子だそうだ。
  こうして進学しても、30〜50%が中途退学(失学)する。理由は経済的なもの、そして勉強についていけない。
  沙漁郎出身者で、今年高中に進学するものが7〜8名。
  今年大学入学資格を得たものが5名(高等専門学校を含めても多すぎる)。ただしうち2名は経済的な理由で断念せざるを得ないだろう、とのことだった。(中国の大学進学率から考えると数年に1人程度か。今年は特別?)

−−村のことがいまいちはっきりしなかった、本人達もあまり整理できておらず、ああだこうだと・・・−−

  沙漁郎地区の中心集落・沙漁郎村自体は東西500m、南北1500m、面積0.75kuの村。
  村全体としては、周辺の小村と彝族の村も入り、面積5kuほどの地区。
  人口は、沙漁郎が1200人、小村は計600人程度、彝族も混じる。
  村の後の山の中腹、2〜3q離れたところに彝族だけの集落、昔カ多村があり、人口900人。

−−再び小学校のこと−−

  小学校は沙漁郎にあり、昔カ[上+下-一]多に分校(分班といっていた)がある。
  分校の張運元先生(彝族)の話によれば、教師は自分1人、2年生のクラスだが、1年生もいるという。
  現在1年生、2年生合わせて23人。
  3年になると沙漁郎小学校に合流。子供達は寄宿せず、1〜2時間かけて歩いて通っている。

  ちなみに沙漁郎小学校には現在寄宿生はいない。宿舎は他地から赴任した先生が住んでいる。
  先生12人のうち、村の人が8人。赴任してきた先生が校長先生、教頭先生を含め四人。この学校は公立で、昆明市から給与が出るが、その額は低く、月100元という。食糧は現物支給か?

  小学校での彝族の比率は20%弱。
  沙漁郎地区での彝族の比率は、純粋な彝族が20%程度。
  漢族と通婚している人や子供も入れると40%を超えるらしい。
  

恒例の記念写真。 ピンポンに興じる厳副主任と張友好都市処処長
卓球台は01年に寄付したもの。コンクリート製。

 5時半沙漁郎を後にする。
 これで今回の任務完了。ほっとする。



8/23(土)
9時、九龍郷発、午後1時、昆明市内のレストラン着。
市外事弁公室が内輪のご苦労様会を開いてくれる。
ここ「祥雲薈館」は街で人気のレストラン。建物、インテリア、食器いずれもおしゃれ。中国風でない。でも出てきたのはれっきとしたチャイニーズ、雲南菜。北京のデザイナーズ・レストランとはまではい行かないが、市民の間ではこういうのが流行の先端なのか。

やはり農村との落差はすごい。



沙魚朗希望小学校通信 bP (2002.6.) から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆さんからよく聞かれること Q&A


 どうして教育支援が必要なの?

 世界最多の12億を超える人口を持つ中国。解放前(建国以前)は文盲が多かったのですが、文盲撲滅の努力の結果、文盲が減りました。現在、中国では小学校・中学校あわせて9年制の義務教育を普及させようと努力しています。
 アジアの1/4という、960万kuの広大な国土の中で、発展した沿海部に較べ、西部の奥地は予想以上に遅れています。
 中国は今「西部大開発」を政策として打ち出しています。

 中国の都市部は、現在目を見張るような発展を遂げ、世界から注目を浴びています。オリンピックも開かれようというのになぜ支援しなければならないのですか。

先の戦争で、日本は15年の長きにわたり中国を侵略し、多くの中国の人々に耐え難い苦しみをもたらしてきました。
 にも関わらず、中国は日本に対して一銭の賠償も請求せず、その上敗戦の混乱の中、中国に置き去りにされた日本人の子供たちを実子同様の愛情をもって育ててくれました。このような中国の人々の寛大な心に対して、われわれ日本人は何をもって報いることができるでしょうか。
 故・酒井和林氏は、せめてその償いに、中国の貧困地区に小学校を建てるお手伝いをしたい、そして学校へ行けない子をなくそうとしている中国に協力したいと考えました。

 なぜ、昆明の子供たちを支援するの?


 藤沢と昆明は友好都市提携をしていて、状況がわかりやすいのです。
 豊かな昆明の中に貧困地区があるのは不思議かも知れません。禄勧彝族苗族自治県はかつては西隣の楚雄彝族自治州に属していましたが、豊かになった昆明に1980年頃に組み込まれました。
中国も、豊かになった地域が貧しい地域を組み込んで、豊かさを分かち合い、少しずつでもともに豊かになろう、という形で努力しています。ちなみに禄勧は全昆明2万余kuの中の1/5を占めます。

 なぜ、沙魚朗なのですか?


 計画がスタートした1997年当時、昆明で一番貧困だった県が禄勧彝族苗族自治県。今は平均年収が1200元(1元16円)になり、貧困県を脱しましたが、当時は1000元以下でした。その中でも厳しかったのが、沙魚朗のある東部の尋甸回族彝族自治県隣接地帯と、北部の四川省隣接地帯。私たちが申し出た、日本側も現地に入って交流できるということを条件に、昆明市が選んだのが沙魚朗(現在の平均年収800元)でした。
 ちなみに昆明市は1998年に平均年収1000元前後の貧困県・尋甸と東川を組み込みました。

 現地にはどうやって行くのですか?


 今は羽田から関空経由で週2便昆明直行便が出ています。お昼頃成田を発って、夕方には昆明。一泊して、翌朝8時にバスで出発、昼食は九龍郷。晴れていればバスで2時には沙魚朗。雨が降ると車は無理で騾馬車に揺られて4時近くに着くことになります。帰りは九龍郷で一泊して昆明へ。


沙魚朗のある中国雲南省は中国西南地域で、ミャンマー、ラオス、ベトナムと国境を接する辺境の省です。
 藤沢市はその雲南省の省都・昆明市と1981年11月5日に、中国国歌「義勇軍行進曲」作曲者の聶耳氏の誕生の地と逝去の地というご縁で友好都市になりました。
「教育支援基金・ふじさわ」が支援している九龍郷沙魚朗は、その昆明市の北部農村地域で、四川省境までの南北に細長く広がる禄勧彝族苗族自治県にあります。
 
禄勧彝族苗族自治県は面積4249kuで、その98.4%が山間地。18の郷(鎮)で構成されています。海抜は1679m。人口は45万人で、その30%が彝族、苗族などの少数民族。
 現金収入は、米、小麦、ソバ、トウモロコシやタバコなどの農業、牧畜業、郷鎮企業で得ていますが、決して豊かではありません。銅、鉄、亜鉛などの鉱物資源が豊富ですが、まだまだ未開発地域です。
 近年、町も含めて出した平均年収が1200元(約2万円)を超え、ようやく国家級貧困地区から脱することができました。

沙魚朗は、その禄勧県城(禄勧県の中心地)からさらに80q離れた九龍郷、さらに10q余り山奥に入ったところにあります。昆明市街区からは150q。少数民族の多く住む山間地にあり、経済的にかなり遅れています。
 人口3000人。タバコ、果樹で収入を得ていますが、年収が800元。ほぼ自給自足ですが、都市部の月収1500元に較べると大差。近年、貧困から抜け出そうと、みかん、栗などの果樹栽培が奨励されています。

禄勧教育事情。昆明市からの資料によれば、小学校が600校弱あり、57000人が学んでいて、入学率、卒業率ともに100%近いということですが・・・。高校への進学率は、職業高校を含めても、禄勧全体で約半分。高等専科学校、大学はなく、進学できる子はわずかです。

中国山間地の小学校は、大きな村に6年そろった中心小学校(本校)が、周辺の村々には分校があります。沙魚朗は人口が多いので6年の小学校があり、子供たちは家から通っています。寄宿は分校からの20人ほど。教育には年300元近くかかり、年収800元では大変。自宅通学の場合はまだ何とかなりますが、寄宿するとより多くの現金が必要なために、途中から通えなくなる子が出ています。 中学へは1学年50人中30〜40人が進むようですが、九龍郷に寄宿しなければならないため、中途退学(失学)の子も出ています。

沙魚朗小学校旧校舎 は、1912年築。もともと村の廟でした。校舎が老朽化し、採光条件が悪く、教室も狭く、土地が低くじめじめしていました。長年無修理で、かつ1985年、1995年の2度の雲南大地震により、損傷がひどく、机・椅子なども質があまり良くありませんでした。
 1997年にメンバーが現地を訪問し、建築資金110万円を寄付。昆明市も出資して、共同で建設を決定。
 1999年初にまず教室棟完成。2月の春節明けから使用開始。

新しい沙魚朗希望小学校
は、敷地面積2740u、鉄筋3階建て、9教室。生徒数307人、教師数11名。
 1999年夏、メンバーが訪問して、机・椅子などの資金80万円を寄付。
 2001年には宿舎、図書室などもできあがり、学校が完成。
 「中国教育支援基金・ふじさわ」ではこれを機に助学金制度への切替を表明。現在、運営方法などを昆明市と検討しています。



□ 経過
 

1996.02 市内に住む高校教師酒井和林氏から「中国に学校を建てたい」と相談を受ける。
     旧校舎の前で贈呈式
    09. 酒井氏、友好提携15周年で来藤した昆明市外事弁公室主任蒋俊才氏に会い、12月訪昆を約束。
    12.30. 酒井氏、癌で急逝。
1997.01.04. 告別式に蒋俊才主任から弔電
    02. 夫人からお花料の一部を昆明の貧困地区の小学校に寄付したいと申し出。
湘南日中、すぐに昆明市や雲南省と相談、昆明市を通すことに決定。
    05. 昆明市農村区の禄勧彝族苗族自治県九龍郷沙魚郎の小学校に寄付決定。
    08.23.〜8.31. 藤沢希望小学校訪中団。
    08.25 沙魚郎を訪問、沙魚郎小学校にて校舎建設資金(110万円)および文房具などを贈呈。
昆明市、昆明市教育委員会も多額の資金を拠出する。禄勧県城泊。
1998.02. 旧沙魚郎小の奥、200mの場所に新校舎建築を決定。整地
ラバ車で行ったことも。
    08. 湘南日中会長が現地へ。校舎基本工事ほぼ終了を確認。
1999.02. 内部工事も終了。
    03. 春学期より新沙魚郎小学校使用開始。
    08.15.〜  藤沢希望小学校訪問団
    08.16.  沙魚郎を訪問、机、椅子、黒板など内部備品の資金(80万円)および文房具や楽器などを贈呈。昆明市職員、村人、訪問団団員で食べ物を持ち寄り、一緒に準備して祝賀会。九龍郷泊。
村は馬鈴薯ご飯と野菜の水煮を、日本からは菓子、酒などを持ち寄り、皆で準備し、お祝いは子供たちも一緒に。
    08.18. 中国99昆明世界園芸博覧会参観藤沢市民訪問団に合流。
    08.22. 沙魚郎小にビデオテレビを買うための資金を蒋俊才市外弁主任に託す。
    中秋 蒋主任がビデオテレビを月餅とともに沙魚郎小に届けて下さる。
2000. 村人の手で校庭整備。
2001. 現在、宿舎、トイレなど付帯設備を建設中。
以後、奨学金制度への移行を検討中。
    11.06. 沙魚郎を訪問。小学校完成。卓球台2台など教育機材を贈呈。
奨学金制度へ移行を発表。
2002.07.22. 沙魚朗を訪問して、58人の貧困家庭の生徒に奨学金を授与。
全校生徒にノートと鉛筆。学校には小百科事典、歴史故事、漢詩などの本、DVD、地球儀、卓球の球、ラケットなどを贈呈。
2003.08.22. 沙魚朗を訪問して、60人の貧困家庭の生徒に奨学金を授与。
今年の卒業生37人全員に「現代漢語辞典」を贈呈。
全校生徒にノートと鉛筆。学校には卓球の球、ラケット、縄跳びを贈呈。


鄭朝銅校長に出迎えられて。01年。


助学金開始。02年。

 再訪で不覚にも涙。まさか毎年くるようになるとは・・・。
99年。 

実りの秋の訪問は初めて。01年。

:遠くに見えるのが沙漁郎の子供達も通う九龍中学。



沙魚朗希望小学校通信 bQ (2002.10.)から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

助学金制度が発足−学校に行けない子供をなくすために−

 「中国教育支援基金・ふじさわ」が支援してきた昆明市禄勧彝族苗族自治県九龍郷沙魚朗の希望小学校は、昨年2001年にすべての施設が完成し、今年から貧困家庭の子供達に対する奨学金制度に移行した。
 移行するにあたって、どのような形で行うかについて、多くの議論があった。利子で運営する・村に委託する・小学校に委託する・中学の費用として積み立ててもらう・・等々、様々なアドバイスをいただき、結局子供達一人一人に直接手渡すことになった。
 また,この基金を日中双方で確認するため規定を定めた。

学校へのお土産は,ノート・鉛筆・本・DVDソフト・卓球玉・地球儀
 2002年7月20日昼前、メンバー2人で成田から日本エアシステムの昆明直行便に搭乗。4時半昆明着。市外弁の唐祖華さん、陳志剛さん、王さんが迎えて、茶花賓館に送ってくれた。
 沙魚朗行きは22日。全校生徒へのプレゼントは日本製の鉛筆とノートを事前に購入、44sで重量超過はJASに許していただいて、昆明に持ってきた。あとは学校へもって行く書籍等を昆明で購入しなければ・・・。いつも沙魚朗に同行していてくれた強立紅さんに朝電話すると、私たちの来昆を待っていてくれ、30分で飛んで来てくれた。彼の案内で昆明一の本屋さんへ。学校完成時に見た図書室は子供用の本が少なかったので、小学生用の辞書、辞典、百科事典、歴史物語、環境の本・・・を数冊ずつ買い込む。そして昨年DVDを贈ったので、教育用DVDソフトを少し。文房具屋で助学金を入れる小紅包を買う。やはり昨年贈った卓球台で使うピンポンのラケットと玉を補充しておかなきゃ。地球儀もなかったな・・・。賓館に戻って、助学金100元札2枚ずつを小紅包に入れ58人分つくって、準備完了。
 22日朝8時に迎えが来る。唐さんと王さん。王さん運転の高級乗用車(昆明市党書記で旧知の楊氏の車らしい)で出発。11時過ぎ九龍郷着。いつもの賓館で昼食をとり、1時過ぎに出発。朝小雨は降ったが、良いお湿りになり道がぬかるんでいず、2時前に沙魚朗到着。村人たちいつもの笑顔が並んでいる。

58人の小学生に助学金を手渡す
 学校に着くと、なんと夏休み中だというのに、たくさんの子供達が待っていてくれた。鄭朝銅校長とXSの話がすみ、学校への記念品を紹介しながら贈ると、また小雨が降り出した。相談して各教室へ。助学金を渡す子供たちだけ1つの教室に集めてもらう。
 一覧表をもらい、名前を読み上げ、一人一人サインをもらって、助学金を渡す。「謝謝!」。嬉しそうな顔、顔、顔・・・。鄭校長が子供たちに「今日はちゃんとお父さんお母さんに渡して、9月に新学期が始まったら持ってくるんだよ」とさけぶ。収入の表をもらったが、どの子も家庭の一人当たりの年収が100〜150元程度の家庭の子だ。1時間近くかけてようやく終了。
 次は、生徒全員にノートと鉛筆だ。低学年はSHGさんが一人一人に手渡していく。どの子もしっかりノートと鉛筆を抱きしめている。時間がないので高学年は人数を聞いて班長に渡す。6年までまわって、任務完了。
 校庭で子供たちも一緒に記念写真を撮って、3時半、沙魚朗を後にした。又、絶対に来られると思うので、涙はなかった。帰り際、鄭校長から「次回は是非食事を」といわれ、「ありがとう、是非」と応えた後、はじめて「次回はこの村に泊まりたい」と言ってみた。
 4時過ぎに九龍郷に戻れたので、すぐに九龍中学まで行ってみた。王校長の自宅を訪ねたが、今日は不在。案内してくれた英語の先生に少し話を聞く。もちろん私たちの活動は知っていた。やはり経済的に失学する子がクラスで5〜6人いて、中学、高校と上に行けば行くほどお金がかかり大変ということだった。
 賓館に戻り、早めの夕食。メインは烏骨鶏のスープだ。唐さんが頼んでおいてくれたらしい。お返しにいつものおばちゃんに白酒を買ってきてくれるよう頼む。4元。4人で話が弾む。9時半過ぎ早めの就寝。
 お金の渡し方、訪問の時期などで多少の問題は残したので、今後の課題としたい。 (湘南日中事務局)

2002年助学金被支給者

就学前: 肖信清張正川・童応超・袁仙芝・袁進恩
1年生: 童 超張用花楊 進・周天超・張天秀・童応曲・周運双・郭明川・郭明祥・郭明喜・李金元・袁興嬌・袁再東・尚興偉・尹尚美
2年生: 羅徳軍・周運娟・羅得玉・張 偉
3年生: 張用福・付道義・尚興荷・袁再菊・郭明雰・羅得海・梁応清
4年生: 周照兵・羅保粉・童応春・張正仙・袁興麗殷澤平・張 雄・彭其玲・袁仙艶
5年生: 付道芳・張 葵・張 湖・張 富・張用有・付 蓮
6年生: 殷澤科・彭紅春・付道存・張応国・童応成・尚興倉・郭明芝・郭明鋒・尚興娥・艶興菊・羅保生



1999年沙漁朗訪問報告書 (.1999.8.) から

昆明市禄勧彝族苗族自治県九龍郷沙魚郎
新沙魚郎小学訪問

夫・和林の遺志「中国に学校を建てたい」の夢を実現させて

                          中国教育支援基金ふじさわ代表 S.H.

 日本侵略の最大被害国である中国への戦後補償の実現として、1996年9月に「くげぬま21」の主催する学習会で「中国に学校を建てたい」を発意した夫酒井和林は、同年12月30日に帰らぬ人になってしまった。妻である私がその遺志を引き継ぐ決意をしたのは、蒋俊才様からの弔文で、すでに昆明市が和林の夢を実現する為に学校建設に取り組んでいて下さる事を知り、誠意の深さに突き動かされたからでした。その夢を実現する為に湘南日中友好協会の協力と藤沢市民の賛同により訪中団を結成し、1997年8月23日より沙魚郎村へ小学校建設資金を手渡す旅に出発しました。
 贈呈式の挨拶の中で林爽爽副市長が、この学校建設に19万元(日本円270万円)を昆明市は支出する事を決定しましたと発表され私はびっくりしたのでした。又夕食の席ではご主人様の夢を夢として終わらせる事なく私たちが必ずこの学校を完成させますからご安心くださいと暖かいお言葉を頂き心の杖として帰国後も頑張ろうと決心しました。この時ただ一つ心残りだったのは和林の夢を実現へ導いて下さった蒋先生にお会いし、直接感謝の気持ちをのべる事ができずに旅を終えた事でした。
 帰国後「中国教育支援基金ふじさわ」を設立し、教育設備の充実をはかる為の基金活動と学用品、文房具の収集に明け暮れる2年間でした。
 そして1999年、友好の種が開花し結実する祈りがかなって、沙魚郎小学校の校舎完成落成式に参列する運びとなり、1999年8月15日日本を出発しました。不安と期待を胸に16日早朝に昆明市を出発し、ぬかるむ道を途中から馬車を連ねての旅となりました。
 沙魚郎村に到着すると熱烈歓迎のアーチの波、鐘や太鼓の楽隊の先導で新校舎へと向かいます。「遅くなってご免ね、ありがとう、ニイハオ」と挨拶しながら皆さんにエスコートされ校門の出来るあたりまで来た時、聶氏作曲の「中国国歌義勇軍行進曲」が流れ、熱烈歓迎の気持ちが伝わり泪が出そうになりました。校門の前には雲南桜と日本の桜が植えてあるとの事で、一層感激が深まりました。
 式典では、机・椅子等の備品代として80万円と、呼びかけで集まった文具、学用品、楽器、日本人形が寄贈されました。更に、黒竹と樫の木が植えられた中庭で爆竹の音と共に石碑の除幕式が始まりました。石碑には希望、友誼、和平と刻まれてあり、希望は沙魚郎小学校全員の希望です。友誼は日中友好の友誼、和平は昆明市の平和と村の繁栄ですと蒋先生より説明を受けました。又、祝賀の交流会の席で蒋先生が、以前公用で藤沢へおいでになられた時、生前和林が「中国に学校を建てたい」と直に蒋先生と話をし、この学校がどうして建設をはじめる事になったかと云ういきさつを皆さんの前で話して下さいました。沙魚郎になぜ小学校が天から降ってきたのか初めて皆が納得した様子でした。
 手を握って離さない村人や、いつまでも手を振って見送ってくれている子ども達と泪々の別れ、再見を約束して胸の熱くしたままに九龍郷の宿へ着きました。しかし何と言っても今回は蒋先生にお会い出来、人の思うの深さがすべての道に通づる事をあらためて実感すると共に感謝の気持ちでいっぱいの旅でした。



藤沢希望小学先発団の報告

                           藤沢希望小学先発団秘書長 H.K.

 1997年、2年前の夏に私たちは、昆明市郊外の貧困地区の山村・沙魚郎を訪れ、老朽化した小学校の立て替え資金を寄付してきました。その小学校が昆明市の資金を含めて建設され、今年になって完成しました。今回、この完成式出席のため「藤沢希望小学先発団」を結成し、現地に行って来ました。
 この小学校建設プロジェクトは、故酒井和林氏の「教育のないことが次の貧困を生むのであり、そのために学校が必要だ。日本が戦争中にしたことの償いに、最大の被害国・中国に建てたい。」との思いを、酒井夫人や藤沢市民と昆明市の協力で実現したものです。
 8月15日21名の参加者は、羽田から関空経由で昆明市に入りました。翌日、早朝に昆明市街を出発した訪問団は、マイクロバスで山道を6時間かけて九龍郷に到着しました。これから先は、雨期のためぬかるみで馬車でなければ進めず、馬車9台に分乗して出発しました。到着の予定時間を大幅に遅れて、午後4時に沙魚郎に到着しました。小学生の演奏と歓迎のかけ声で迎えられ、式典会場へ。校庭に作られた会場では、藤沢側から酒井仁美夫人が挨拶、沙魚郎からは小学生代表と校長先生が挨拶しました。なお、昆明市からは、外事弁公室の蒋俊才主任、唐祖華処長、汪浩さん、通訳として前回も一緒だった雲南省対外友好協会の強立紅さん他の方々が出席されました。また、今回の訪問では「中国教育支援基金・ふじさわ」として、教室のイスと机のために現金80万円と文房具などを寄贈しました。
 短い時間でしたが交流会を持ちましたが、暗くなってきたので7時には帰路に着きました。真っ暗で雨の降りしきるぬかるみの中、馬車にゆられて帰路につきました。

 今後、「中国教育支援基金ふじさわ」では、引き続き基金による資金援助を通してすべての子ども達が小学校を卒業できるように、又少しでも多くの子ども達が中学校にも進学し卒業できるように、手助けをしていきたいと思います。そのために昆明市と良く話し合い、昆明市の協力の下、奨学金制度などに発展する方向で検討を進めています。
 また、不足している学用品を市民の皆さんに呼びかけて、日本の子ども達が使用した学用品・楽器その他を集めて中国へ持参したいと考えています。こうした活動を通じて、学校に行くのも困難で、学用品も不足している子ども達が大勢いることを、藤沢の皆さんに知っていただきたいと思っています。
 このような交流を通じて、昆明の人々と藤沢の人々の顔の見える関係が強くなるでしょう。

 募金いただける方は、郵便振替 「00270-1-85912 口座名 中国教育支援基金・ふじさわ」に お振り込みいただければ幸いです。


禄勧彝族苗族自治県 九龍郷 沙魚郎 1997年概況

  禄勧彝族苗族自治県は、雲南省北部中央、昆明市郊外区の最北部にあり、北は四川省に接する。

  面積4,249kuで、全昆明20,000余kuの中約1/5。その98.4%が山間地。県城(県の中心地)は昆明市市街区から72q離れたところにある。海抜1679m。

  人口は44万余で、全昆明467万中1/10。その30.1%が彝族、苗族などの少数民族。
  経済的には、食糧作物、タバコなどの農業、牧畜業、郷鎮企業を主に、生計をたてているが、決して豊かではなく、全国級の貧困地区に指定されている。

  あの美しく豊かな昆明、花博の昆明の中に、貧困地区があるのは不思議かもしれないが、かつては西隣の楚雄彝族自治県に属していて、10年ほど前に昆明市に組み込まれた地域である。

  沙魚郎は、その禄勧県城からさらに80q離れた九龍郷から、さらに十数q山奥に入ったところにある。昆明市街区から160q。少数民族の多く住む山間区にあり、経済的にかなり遅れている。

  人口3000人。タバコ、果樹で収入を得るが、順調にいって一家の年収が800元。ほぼ自給自足できるが、昆明の都市部に比べると大差。しかもここのタバコは、同じ雲南煙草でも、価格は有名な玉溪タバコの1/3。近年貧困から抜け出そうと果樹栽培が奨励されている。現在まだ税金免除地域。

  ただ、完全に自給自足できた時代はまだ良かったが、近年地域の市場メカニズムに組み込まれるようになると、どうしても現金が必要になり、悪循環が始まる。

禄勧教育事情

  昆明市からの資料によれば、禄勧教育事情は、
  各種学校計663校に、計7万人余の学生が学び、全教職員数4230人。
  そのうち小学校が636校で、小学生は5万人余。入学率、卒業率ともに100%近い。
  初級中学(中学)232クラス、1万3578人、小学校から中学への進学率がその67.2%。
  高級中学(高校)24クラス、1260人、中学から高校への進学率がその41%。
  高専、大学はない、ちなみに高校から上への進学率は23.1%、という。
  しかし、進学率が41%というのに、高校生人口やクラス数が中学の1割弱。中学での失学が多く、卒業率が低く、中学卒業生の41%が進学しても、さらに高校でも失学が多くなければ、数字が合わない。本来、中国は中学までが義務教育である。
  ちなみに沙魚郎では、中学への進学率が50%、高校への進学率が30%で、比率はもっと低い。
  単純計算だが、小学校は禄勧4249kuに636校、7ku=2.5q四方に1校で、日本と変わりない。
  通常、山間区では、一つの郷に完全小学校の中心校が1校、分校が10ヶ所ほどあり、子供たちは低学年を村の分校で過ごし、高学年になると宿舎のある中心校に入る。このため小学校の数が多い。
  沙魚郎は村の人口が多いので、沙魚郎小は、中心小学校ではないが、完全小学校。子供たちのほとんどが歩いて1年から2〜3qの周辺の山腹から通っている。宿舎している生徒は20人程。
  自宅通学の場合は経済的に何とかなるが、村から離れて寄宿すると、現金が必要なために、途中から通えない子が出てくる。このため沙魚郎小の卒業率は高いが、中学進学は半分、さらに九龍郷に寄宿しなければならないため、失学する子が多い。


  旧・沙魚郎小学校は、敷地面積2133u(650坪)、建築面積978u(296坪)、うち教学用のスペース626u(190坪)、宿舎215u(65坪)。9クラスあり(うち1クラスは就学前クラス)生徒数は269人、うち少数民族が21.9%。教師数13名。
  学校はもともと村の廟を小学校にしたため、校舎も老朽化し、採光条件が悪く、教室も狭い。土地が低いためいつもじめじめしている。長年修理しなかったため、さらに1985年、1995年の2度の地震の影響もあり、損傷がひどい。教具類も質があまり良くなく、机、椅子も多くが壊れている。
  市外事弁公室は「教学に良いように、少年児童の心身を健康に発達させるために、この学校を修理し、再建し、関係施設を設備する必要に迫られています」と伝えてきた。
  「扶貧(貧困救済)」の仕事でよく禄勧に行く市外事弁公室の厳建文氏は「昔の廟に日干し煉瓦で建て増しして使っている、かなりの厳しい地区」と。
  生まれかわった新・沙魚郎小学校は、敷地面積1969u、鉄筋3階建て。場所は旧学校から200m奥。