□聶耳記念碑 昆明の聶耳墓と中国の聶耳像 □サムウェルコッキング苑(旧江ノ島植物園)友好庭園春沢園・騁碧亭孔雀のブロンズ像「吉祥永駐」



□聶耳記念碑

 まず現在までの経緯をざっと追ってみましょう。

 1935年(昭和10)の717日に、中国の青年が鵠沼海岸で泳いでいて、午後2時頃行方がわからなくなり翌朝発見された。彼の遺体は藤沢市内で荼毘にふされ、遺骨は故郷・昆明に戻った。

 戦後間もない1949年(昭和24)に、新中国が誕生して、新しい国旗と国歌が制定されたというニュースがこちらに伝わって来て、その中に国歌の作曲者・聶耳は「1935年に鵠沼海岸で亡くなった」こともでていた。
 市民の間から、追悼の意を込めて記念碑をつくり、それを広める運動が始まり、1954年(昭和29)に聶耳の記念碑ができた。
 この当時中国とは国交がなかったが、中国の紅十字会会長、厚生部長の李徳全女史が新中国から初めて来らた時に、除幕式をした。


 ところが、これが昭和33年(1958)の狩野川台風で流された。
 それで再建しようということになり、市民、、町内会、市議会などの力で、横浜華僑総会の協力を得て、1965年に再建した。

 さらに、1986年敷地を拡張して、聶耳記念広場として再整備された。

 詳しくは、前藤沢市長・聶耳記念碑保存会名誉会長 葉山 峻氏の聶耳 聶耳記念碑建設から藤沢昆明友好提携へをご参照下さい。

 実際には49年9月の政治協商会議で、『義勇軍行進曲』を暫定国歌とした。文革時歌詞が変えられていたが、文革終了後の82年12月に全国人民代表大会で正式に国歌に制定され、歌詞も田漢のオリジナルに戻った。

1986年聶耳記念広場として再整備された。 1965年に再建された記念碑。
 中国にある5体の塑像と実兄・故聶叙倫氏を参考に鵠沼に住んだ彫刻家・故菅沼五郎氏が作ったレリーフ。
 聶叙倫氏をして、中国のどの塑像よりも似ていると言わしめた。
聶耳自身の
サインを写す。
 建築家・山口文象デザインの碑。真ん中の3つの四角い出っ張り、4ヶ所の線刻で、上から見ると「耳」の字になっている。線刻が4ヶ所で「耳」が4つ、すなわち「聶耳」を表す。

 広場の中の碑を見てみましょう。

郭沫若氏揮毫の碑文 郭沫若氏揮毫の碑文原版
秋田雨雀撰、豊道春海揮毫の碑文原版
葉山峻・前藤沢市長の書いた「聶耳記念碑の由来」 記念碑横の歩道橋から江ノ島を望む


昆明の聶耳墓と中国にある聶耳像

昆明西山の聶耳墓 若くしてなくなった聶耳
昆明西山の聶耳塑像 昆明翠湖公園の聶耳塑像
雲南・玉渓の聶耳塑像 上海の聶耳塑像
  レリーフ制作者・菅沼五郎氏から提供された原型を
錦繍花卉公司顧問として来日(湘南日中招請)した聶老
浙江・象山の聶耳塑像 (聶叙倫氏・後列中央)に、聶耳記念碑保存会が贈呈。

 5枚の塑像の写真は聶耳の姪・聶麗華さんからいただいたもの。






サムウェルコッキング苑(旧江ノ島植物園)友好庭園
  春澤園・騁碧亭
孔雀のブロンズ像「吉祥永駐」


 2003年4月リニユーアル・オープンした江ノ島のサムウェルコッキング苑(旧江ノ島植物園)の中には藤沢の五つの友好・姉妹都市の公園がある。
 その中の一つが「春澤園」。
 「春」は「春城」とも呼ばれる昆明、「澤」は藤沢。両市の友情が春風のように両市市民の心を潤してほしいという願いを込めて名付けられた。
 「騁碧亭」は緑の中に佇む「四阿あずまや」というほどの意。

 木材から礎石、瓦に至るまで、昆明で加工し、藤沢に持ち込んだ。昆明市園林局長・汪天祥氏を団長に木匠たち8人が2002年9月半ばから11月初にかけて来藤、組み立てた。
 汪天祥氏を含む8人全員が、それぞれの専門の木匠(建築職人)の指示の下、力を合わせてすべての作業を行っていた。

春沢園・騁碧亭正面 背面
上の額:騁碧亭 緑の中に佇むあずまや 上の額:晴嵐 晴れた日に立ち上る山霞
右の聯:風過小亭疎竹影 風 小亭を過ぎ 竹影 疎ら
   風があずまやの中をさっと通り抜け、竹の影が疎らに映る。
右の聯:白昼浮嵐濃且淡 白昼に浮く嵐 濃く且つ淡く
    昼の盛りに遠くに浮く山霞は、暖かい日差しに照らされて、ある時は濃く、ある時は薄く
左の聯:雲浮潮水逸琴声 雲 潮水に浮き 逸なる琴声
   雲が海の上に浮いていて、まるで天上からの優雅な琴の音を聞いているようだ
左の聯:高秋畳翠雨還晴 高秋 翠を畳み 雨 晴れに還る
    天高い秋に、雨が過ぎて空がからりと晴れ上がり、木々の緑が重なったように生い茂る
額や聯の金箔は現場ではった。建物には金箔を多用。島の頂上の強風には苦労したようだった。 礎石も昆明で刻んでから運んだ


左、上:雲南の建築物独特の色彩なのだそうだ。
瓦も焼いて持って来た。これは上層四隅の飾り瓦。獅子と鳳凰。一つひとつ手作りで、形が異なる。記念にといただいた。 完成間際、お別れの挨拶も兼ねて見学させていただいた。


 騁碧亭左手前には友好提携20周年の記念に昆明から贈られたブロンズ像「吉祥永駐」がある。
 総重量5t。中国の人間国宝、袁氏の中国画「吉祥永駐」をもとに作った。

正面。三羽の孔雀。母孔雀の胸元に子孔雀がいる 背面

 雲南では孔雀は「吉祥」のシンボル。
 「吉祥永駐」は三羽の孔雀の家族がかもしだす温かい雰囲気を通して、見るものが愛しみたい、幸せになりたいと願うようになり、21世紀が人々にとって平和な発展の世紀になるようにとの祈りを込めた作品である。

8人のステキな木匠たち
 木匠たちの仕事のない日曜日には、隔週で湘南日中が担当。 買い物、食事、市民祭りなどにご一緒した。
 外食は何がいい?と聞くと、答えは必ず和食。定食屋、料亭、飲み屋・・・いろいろご案内。天麩羅だけでなく、刺身も酢の物も、果ては納豆でも何でも食べる、好奇心旺盛な8人。腕の立つ木匠は既成概念にとらわれないこういう人?
 でも、現場での昼食は自炊しているというので、雲南の辛い腐乳「油鹵腐」を持っていったら、「やっぱりこれ!」とばかりに、目の前でタッパー一つが空になった。
 とにかくステキな8人の木匠たちでした。
 2003年4月、江ノ島のサムウェルコッキング苑リニユーアル・オープンに合わせて李江副市長と共に来藤した汪氏、今はもう中国語講師、電脳倶楽部メンバー、そして事務局のメル友です。

歓迎会で 木匠たちと中国語講座有志。左端が汪天祥氏。
料亭で。市がごちそうしてくれた。 市民祭りで御輿を担ぐ。




 藤沢の姉妹都市にはもう一つアジアの都市がある。
 韓国の保寧(ポリョン)。2002年11月提携した、まだ新しい姉妹都市だ。
 9月27日、保寧市長を迎えて、保寧広場の除幕式があった。