友好都市提携年月日 1981年11月5日(友好都市提携調印の日)

 

藤沢市と昆明市の都市提携の仲立ちとなったのは、現在の中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者で、中国現代音楽の先駆者といわれている聶耳(ニエ アル)です。

聶耳は1912年昆明市に生まれ、来日した1935年、市内鵠沼海岸で遊泳中に帰らぬ人となりました。主に映画や舞台劇の音楽分野で大きな足跡を残しています。異国の地で短い生涯を終えた青年の死を悼んだ多くの藤沢市民は、1954年11月に聶耳を偲ぶ記念碑を建てました。しかし、1958年の狩野川台風により流失しましたが、1965年に現在の記念碑が建てられました。こうした市民の厚意は、中国の人たちを大変感動させたといわれています。

1980年5月から昆明市との交流が始まり、1981年8月、昆明市長から友好都市提携をしたい旨の文書が寄せられ、翌月9月の定例市議会において都市提携の議決がなされ、1981年11月5日、友好都市締結の調印式が行われました。聶耳の死という出来事が、藤沢市と昆明市、そして日本と中国を強く結びつけることになりました。

友好都市提携35周年を経過してもなお、両市との間では文化・芸術・技術交流等、様々な友好交流が行われており、聶耳の終焉の地に建つ聶耳記念碑こそが、その友好のシンボルとなっています。